第一屋製パンとポケモンパンの歴史
山崎製パンによる企画と「ポケモンショック」の発生
(1997年) 1997年当時、ポケモンパン(『ポケットモンスター』とタイアップした菓子パン)の発売は業界最大手である山崎製パンによって計画されていました。当時はポケモンゲームやアニメが社会現象となっており、パン業界でも人気キャラクターとのタイアップ商品に注目が集まっていたのです。しかし、同年12月16日にテレビ東京系列で放送されたアニメ『ポケットモンスター』第38話において、大量の光刺激が原因で視聴児童が痙攣を起こす**「ポケモンショック」事件が発生します。社会問題化したこの事故を受けて山崎製パンは予定していたポケモンパンの販売計画から撤退し、タイアップ契約を中止しました。大手企業である山崎製パンは、自社ブランドイメージへの影響や世間の反応を慎重に考慮し、この苦境下のポケモンとのコラボから手を引いたと見られます。
第一屋製パンへの契約移行とポケモンパンの発売 (1998年)
山崎製パンの撤退により空白となったポケモンパン企画に、代わりに名乗りを上げたのが中堅の第一屋製パン(第一パン)でした。第一パンは、アンパンマンやスーパー戦隊シリーズなどキャラクターパンの企画に実績があり、業界内ではタイアップ商品の先駆者と目されていた企業です。山崎製パンが手を引いた理由であるポケモンショックは一時的な逆風でしたが、第一パン側はポケモンの人気自体の潜在力を信じ、むしろこの機会を積極的に活かそうとします。その結果、1998年6月に第一パンはポケモンとの提携ライセンスを正式に取得し、予定通り「ポケモンパン」シリーズを発売開始しました。パッケージにピカチュウなどポケモンキャラクターを大きくあしらった菓子パン・調理パン各種が登場し、パン1個に貼ってはがせるおまけの「デコキャラシール」が封入されていることが特徴でした。子どもたちはパンについてくるシールを集めるために商品を繰り返し購入し、このコラボパンは発売直後からヒット商品となります。第一パンにとって、思わぬ形で舞い込んだこの大型キャラクタータイアップは、その後の経営を支える看板商品へと成長していきました。
ポケモンパンのロングセラー化とポケモン側の戦略
第一パンが発売したポケモンパンは、予想以上のロングセラー商品となりました。発売当初の爆発的ヒットだけでなく、その人気は持続し、1998年の発売開始から2014年末までに累計約12億9千万個という驚異的な数量が販売されています。この成功の背景には、ポケモン側のキャラクタービジネス戦略もありました。ポケモンはゲーム・アニメのみならず日常食品への展開にも力を入れており、「子どもたちにもっと楽しい食事を」というコンセプトのもとでポケモンパン企画を推進していました。実際、第一パンのポケモンパンでは季節ごとにハロウィンやバレンタインなどイベント限定デザインの商品を投入し、飽きさせない工夫がなされています(例:ハロウィン仕様のパンプキンメロンパン、バレンタイン仕様のチョコパン等の期間限定商品)。またポケモン映画の公開時期には関連シールやキャンペーンを展開するなど、ポケモン側と連携したプロモーションも長年続けられました。ポケモンショック直後の危機を乗り越えたポケモンブランドは、1998年4月にはライセンス管理会社「ポケモンセンター株式会社」(後の株式会社ポケモン)を設立して組織体制を強化し、以降も第一パンとの協業によるパン販売を安定的に継続します。こうしたポケモン側の支援と商品展開の工夫により、ポケモンパンは子どもたちの日常に根付き、20年以上にわたりロングセラーとして愛される商品となったのです。
契約移行後の販売体制と地域展開の課題
山崎製パンから第一パンへと契約が移ったことで、販売体制にも変化が生じました。山崎製パンは自社で全国に強力な流通網と系列店(デイリーヤマザキ等)を持ちますが、第一パンは山崎に比べ規模が小さく、全国隅々まで自社配送網を持っているわけではありません。そのため、ポケモンパンの供給エリアには限りがあり、主に本州の関東・中部・近畿・中国四国地方で第一パン自身が製造・販売を行っています。東北地方と九州地方については、第一パンとライセンス契約を結んだ協力企業(東北は白石食品工業、九州はリョーユーパン)が現地生産を担う形で販売網を補完しました。一方、北海道と沖縄県には提携する製パン会社が存在せず、また第一パン自身も両地域に物流拠点を持たないため、残念ながらポケモンパンは北海道・沖縄では販売されていないのです(※かつて北海道では地元企業との提携で販売していた時期もありましたが、2003年までに終了しています)。このように、ポケモンパンは長年にわたり全国的人気商品でありながら、販売エリアが限定されるという課題も抱えていました。その対策として、2018年には「ポケモンローカルActs」プロジェクトの一環で北海道限定ポケモン(ロコン)のパンを日糧製パンなどが期間限定製造する試みも行われています。しかし基本的には現在も北海道・沖縄では入手困難であり、SNS上では「本州に行ったらポケモンパンを買いだめしたい」といった声も見られる状況です。この地域差は、山崎製パンではなく第一パンが販売元となったことの副次的影響と言えるでしょう。
業界の反応とキャラクターパン市場への影響
ポケモンパンの販売権が第一パンに移行したことは、製パン業界にも一つの転機をもたらしました。当初、大型コンテンツであるポケモンを中堅の第一パンが扱うことについて業界内では意外との声もあったようですが、結果的にポケモンパンの成功は第一パンの屋台骨を支えるほどの大ヒットとなり、中堅メーカーの存在感を高める事例となりました。一方で山崎製パンにとっては、自社が計画していた有力商品を手放した形となり、結果論ではありますが"大魚を逃した"格好となっています。実際、その後のキャラクターパン市場では、山崎製パンは同じ轍を踏まないよう積極的な展開を見せています。例えば、2010年代中頃に社会的ブームとなったゲーム・アニメ『妖怪ウォッチ』では、キャラクターパンの商品化権を山崎製パンが獲得し、全国で「妖怪ウォッチパン」を販売しました。第一パンも本来であればこのような新興人気キャラクターの商品を手掛けたいところでしたが、ポケモンパンで培われたポケモン側との長年の関係や資本力の差もあり、妖怪ウォッチパンの企画は山崎に奪われてしまったと指摘されています。このように、一度はポケモンパンで主導権を握った第一パンですが、その後の新規キャラクター獲得競争では必ずしも優位に立てず、依然として市場全体では大手の山崎製パンが強い影響力を持つ状況です。他社の反応としては、キャラクターパン市場の競争が激化する中で、他の中堅製パン各社も地域限定のキャラクターパンを展開する動きが見られました。フジパンや敷島製パン(Pasco)などもポケモン以外の人気キャラクターとのコラボ商品を投入し、市場のすそ野は広がっています。しかしポケモンパンほど長期間にわたりヒットを維持した例は珍しく、ポケモンパンの成功はキャラクタービジネスと食品メーカーの協業モデルとして際立つ存在です。
ポケモンパンがもたらした影響と現在の状況
こうした経緯を経て誕生したポケモンパンは、第一屋製パンという企業の運命を大きく左右しました。前述の通り、第一パンは山崎製パンなどに比べ経営規模が小さく、上場後は業績低迷が続いていましたが、ポケモンパンのヒットにより一定の収益源を確保することができました。それでも近年の少子化や原材料高騰、競合激化の中で同社は苦戦が続き、2017年から2022年まで6期連続で営業赤字となるなど経営は厳しい状況でした。事実、スーパーの店頭では「第一パンの商品はポケモンパン以外見かけない」**とも揶揄されるほど、同社のブランドはポケモンパンに極端に依存していた時期もあります。しかし2023年には大胆なリストラ策(横浜工場の閉鎖と生産集約)や値上げ効果も奏功し、7期ぶりに営業黒字へ転換する見込みとなりました。この業績改善のニュースに対しては、「ポケモンパン」を核とした事業立て直しに一定のめどが立ったと業界では評価されています。また2023年はポケモンパン発売25周年にあたり、記念の商品展開やメディアでの振り返り企画も行われ、改めてその長寿ぶりがクローズアップされました。現在も第一パンの公式サイトには常時20種類以上のポケモンパンがラインナップされており、新作ゲームやアニメのキャラクターを取り入れた新商品が次々と投入されています。長年にわたるポケモンパンの継続は、「ポケモン」というキャラクターコンテンツの根強い魅力と、それを食品という日常分野でブランディングした先見性を示すものです。山崎製パンから第一屋製パンへと販売元が移った経緯は異色ではありましたが、この判断が結果としてポケモンパンのロングセラーを生み、中堅パンメーカーを支える柱になったことは特筆に値すると言えるでしょう。